ブランドが嫌いだった

ブランドという言葉が嫌いだった。

服を買うにもブランド、人を判断するにも学歴や職歴などのブランド。そういったもで人を判断してていくことが、どこが本質的じゃないように感じた。名前だけで物や人の良し悪しを判断してしまうことが、表層しか見ていない気がして気持ち悪かった。

就活を迎えるときも、「慶應だからとりあえずESは突破できるよ」とか言われると、なんか漠然と嫌な気持ちになった。突破できるなら確かに安心するけど、そこがやっぱり大きな基準としてあるんだなと。

そんな自分に転機が訪れた。2017年1月、パリコレに出演したときの出来事だった。パリコレでは1ヶ月の滞在期間中に50程度のブランドのオーディションを受けたのだが、最初のほとんどは1次オーディションで落とされる状態が続いた。

そんな中、バーバリーのショーを受けた時にデザイナーに気に入ってもらえたのか、最後のオーディションまでたどり着くことが出来た。その時パリで所属している事務所に伝えられたのは、自分か前期のショーでルイ・ヴィトンのショーにでたモデルで先方が迷っているとのことだった。

フィッティング(本番で着る服を一度着てみるオーディションの一つ)を行い、バーバリースタッフとも話していくなかで、自分の中で手応えはあった。ヴィトンに出たことのあるモデルはそんなイケてるようには見えなかったし、これはいけるかもしれないと自分の中でも期待が高まった。

しかし自分は落とされた。

事務所からは「ヴィトンの子が受かったみたい、次頑張りましょ」と言われた。初めて出るショーがバーバリーになってたかもしれなかった期待とあいつに負けたのかという不甲斐なさからとても落ち込んだし悔しかった。ヴィトンのショーに出たから何だよ、関係ないだろ、ちゃんと評価してくれよと考えていた。

でも冷静になってそのことを振り返った時に、「もしかしてブランドってめっちゃ大事なのかもしれない」と思うようになった。というのも、自分が担当者だった場合、もうヴィトンのモデルと自分のどっちを取るか迷った時に、自分もきっとヴィトンのモデルを取るからだ。「ヴィトンに認められてるのだからそれなりすごいのかもしれない」とか「本番でいい仕事をしてくれそうだ」ということを考える。きっと多くの人がそうだと思う。

そこでブランドは『信頼』なんだということに気がついた。洋服のブランドはその歴史や今までの製品などの積み重ねががひとまとめにブランドとして語られる。そこに多くの人が共感して魅力を感じる。人の学歴もそう。良い大学に受かっていたら受験の際に一度頑張って、かつちゃんと卒業したという結果を出している事実がそこに集約されている。

仮にハーバードを卒業した人と慶應を卒業した二人の人物が一つの枠しかない採用面接を受けたとする。そこでもきっと採用されるのはハーバード卒の人で、その理由はハーバードのブランドがあるからだ。

信頼だと考えてみるとブランドに対して嫌らしさのようなものを感じなくなった。また同時に、ブランドを形成していくことの重要性にも気がつく。ブランドは人から抱かれるイメージや実力を判断するための大きな材料となる。個人レベルで言えばセルフブランディングが足りないことが原因でチャンスを逃してしまうのは本当にもったいない。

今でもブランドで何かを判断することは本質的だとは思わないが、自分のブランドを形成していくために何が必要か定期的に考えることは忘れないようにしたい。

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