ハムを食べない話

僕はしばらくお肉を食べていないので、今回は「肉を食べない」ことをテーマにしてみようと思います。ちなみに、肉を食べないというのは僕の人生で2回目で、今回は去年の6月から続けています。もうすぐ1年です。

肉を食べないことにはいくつか理由があるのですが(大した理由ではない)、そうやって生活していく中でやっぱり結構(僕としては)おもしろい体験がいくつかあり、今日はその中の『ハム事件』について紹介したいと思います。

ーーーーーーーーーー

そんなに想像に難くないと思いますが、やはり「肉を食べない」というのはそれなりの意識が必要なことです。特に意識せずに何となくご飯を食べようとすると、それこそ「あ、やば!」みたいなことになり兼ねません。

そう、あれは始めてから1,2ヶ月くらいのとき。ボーッと何か別の考え事をしていたら、僕は気付けばハムを食べてました。
「え?いまもしかしてハム食った?」まず一瞬、事態を呑み込めない空白の間があります。ハッとその事実を認識した時にはもう遅い。ゴクンと飲み込んで、固形物が胃の中に落ちるのを感じます。と、同時に頭はフル回転。数秒間に渡って脳内でいろんな「自分」が猛烈に意見を闘わせます。

まず最初の一瞬では、食べたことをどうにか取り消せないか必死に考えます。起きた事実をまず否定しようとする段階です。
色々頭を巡りますが、最初のコンマ数秒を過ぎた頃にはもうこれが否定できない事実で、手遅れであることに頭の片隅では気付いています。ここでは特に答えは出ず、迷走したまま否定できなことだけを嫌々悟ります。

次は、「肉を食べないというルールを自分は守れなかった」という事実をどう捉えるかを考えます。要は自分への言い訳を必死に考える時間です。
そこに理由をつけて抗うべきか、それとも諦めて自分を慰める方向に持ってくべきなのか、はたまた諦め悪く何とか食べたという事実を否定できる捉え方はないかと考え始めます。ダメな自分自身をどうジャッジするか、もしくはジャッジすることから逃げるのか、いくつかの浅はかな考えが一瞬で錯綜しますが、この時点では既に「肉を食べてしまったという事実が否定できない」ことを感覚として理解してしまっているので、拭い切れない失望感が確実に迫りつつも、それに気付きたくないから気づかないフリをしている感じです。
このときは、見た目や体裁を気にする自分が強い力を持っています。意思が弱いと、ここで起きてしまった事実に合うようにそもそもの考えをねじ曲げてしまうんじゃないかと思います。そう、正念場。

それから、少しはマシなマインドを持った自分が「じゃあこれをどう捉えて、こっからどうすんのよ?」と何とか建設的な答えを出そうとします。情けなさと戦いながら自分を守るための対応策を考えるフェーズです。
よくわかんないポジティブ思考が働き出し、何とか次につなげようとむなしい努力を重ねます。すごく大事な取り組みではあるし、考え始めた段階ではすごく建設的ではあるんだけど、実際はこの時点では完全に「ハムを食べた」という事実から逃れられない状態になっているので、何を考えても謎のポジティブ思考で押し切るみたいな思考に気付いてしまう自分がいて、何だか嘲笑的な視点がどうしても消せません。

ハムを食べたという事実から数秒の間に、脳内ではこういう形で事実に対する拒否反応と受認、自己批判と自己釈明、そして建設的な視点とそれに対する自嘲的な視点が、忙しなく、かつ、しょうもなくぶつかり合います。

そして、目が覚めてそれが夢だったことに気が付きます。夢だったんです。
そう、僕はハムを食べていなかった。
何とも言えない微妙すぎる安堵感と、感覚として体に残っているどうしようもない失望感から、しばらくベッドで呆けました。

ーーーーーーーーーー

これが『ハム事件』です。ただの夢ですね。すいません。

僕は普段あんまり夢を見ないんですが、肉を食べなくなってから最初の数ヶ月くらいのときはたまにこういう夢を見ました。結局は夢なんですが、夢って結構リアルに経験した感覚が体に残りますよね。自分にとっては「肉を食べない」ことに対する自分の姿勢をちょっと客観視することが出来た良い機会でした。

夢つながりでもう少し。
「外国語は、その言語で夢を見たらある程度習得できた証拠だ」とよく聞きます。これの是非はさておき、この言葉の言いたいところは、日常生活で意識的に行なっていることが少しずつ無意識で出来るようになって、夢という(おそらく)完全な無意識の世界でもそれが行われることが成長の証であるということだと思います。
僕もイタリアにいたときにある段階から英語(そうイタリア語ではない)で夢を見るようになりましたが、初めて英語で夢を見たときは純粋に嬉しかったし、その無意識化はやはりきっとすごく良いことなのだろうと思いました。

同じ無意識化ですが、ハムの場合はそれが望んでいないのに意図せず進んでいってしまい、その様式に順応していく(というか忘れていく)中で無意識のダメな面が如実に現れた瞬間でした。
僕としては、ハムの場合で大事なのはそれに慣れて無意識で肉を食べないで生活できるようになることではなく、食事の度にハムを食べてはいけないことを思い出すことなんです。

それが僕が肉を食べない大きな理由のひとつなんですが、何となく、伝わりますか?笑

2件のコメント

  1. 「ハムを食べるという行為に潜在的に慣れている」ことがハムを食べている夢を見させるのか、「ハムを食べたいなぁと潜在的に思っている」ことがハムを食べている夢を見させるのか。もしくは前者も後者も同じなのか。卵が先か鶏が先かみたいな話なのか。どっちにしろハムが食べたい。

    1. たぶんだけど、夢を見たのは「食べてはいけない」っていう意識が徐々に薄まってきてるのに自分で気付いてて、それをいつかふと破ってしまうんじゃないかって恐怖を感じてたからだと思う。笑

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA