その人が死ぬ前に会いにいく

僕は旅行をすることが好きだ。もともと親が旅行好きだったこともあって、毎年1回は家族旅行をしていたので、自分も大学に入学してからは一人でコツコツお金を溜めてはそれを旅費につぎ込んでいる。

今までは2013年から香港、シンガポール、ベトナム、パリ、ニューヨーク、フロリダ、バルセロナ、ローマと、いろんな場所に旅をしてきた。どこにもその地ならではの良さや楽しみがあって飽きない。むしろ旅をすればするほど、これからも更にいろんな場所に旅したいと心から思う。

僕が旅をする動機は大体2つに分かれる。それはその国を体感しにいくものと、そこにいる人に会いに行くものだ。

体感する

2015年の8月にベトナムのハノイに行ったのは完全にハノイを体感するためだった。香港に行って以来、僕は東南アジアならではの活気に満ち溢れた喧騒に取り憑かれている。ハノイも期待通り活気のある刺激的な街だった。バイクが人よりも多いと言われており、道路はバイクで埋め尽くされている。信号もあるけど、ほとんど機能していない。道路を渡りたかったら手を上げながら自分の存在をアピールして無理矢理渡る。それが当たり前だった。

ベトナムの圧倒的バイクの多さ

ベトナムの交通量はすごい

そんな一面もありながら、ハノイは緑が豊かだ。公園や湖の周り、街路などに大きな木が沢山植わっている。そのコントラストもまた絶妙で、ハノイにはどんどん魅了されていった。ここにはまた必ず行きたい。

人に会う

そして人に会いに行くための旅行だ。旅先に知人がいるのはいろいろとお得だ。宿泊費や食費が浮くことが多いし、現地の人しか知らないようなローカルな場所も案内してもらえる。

でもそれ以外にもう一つある。僕にとって人に会うための旅行は「その人が死ぬ前に会いに行く」という意味が含まれる。

 

死ぬ前に会いに行くと言うとどこか大げさに感じるかもしれないけど、これは僕が旅をするにあたって大きな動機の一つになっている。いつまた会えるかわからないけど必ずまた会いたいと思う人には時間とお金が許す限り会いに行きたい。

そう思うようになったきっかけには日本のおじさんとオーストラリアの祖父の死がある。

日本のおじさんには小学校低学年の時によく面倒を見てもらっていた。おじさんは読売ジャイアンツが大好きで、よく東京ドームまで僕をジャイアンツの試合に連れて行ってくれた。そして野球のルールから誰が良い選手なのかなどを事細かに説明してくれた。「ペタジーニは好きだけどミスが多すぎるね、あいつしっかりしてほしいわ」と言っていたのを何故か今でも覚えてる。

オーストラリアの祖父はやんちゃな人だった。隙さえあれば僕のことをくすぐってきたり、親父ギャグ(英語)を言って僕のことを笑わせようとしてきた。祖父はくすぐりにおいては僕を笑わせることができたが、親父ギャクで僕を笑わせることはほとんどなかった。(僕のギャグ線の低さは遺伝かもしれない)でもそんな祖父と話しているのは楽しかった。

日本のおじさんが亡くなった時、僕はオーストラリアに住んでいた。そしてオーストラリアの祖父が亡くなった時、僕は日本にいた。どちらの死に際にも立ち会えなかったし、葬式にも行けなかった。

二人とも「また今度ね!」と言ってお別れしたはずだったのに、突如会えない存在となってしまった。当然のことだけど、人は死んでしまったらもう会えなくなるんだということを実感した。

それ以来、「人に会いに行く」というのが僕の旅の動機の一つになった。オーストラリアに帰るのは親戚に会いに行くためだし、イギリス行くのはおじさんに会いに行くためだ。

これから社会人になっていくに連れて、学生の頃程簡単に旅行はできなくなると思う。それでもなお、会いたい人には会えるうちにしっかり会っておきたい。

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