とはいえフラットに話すのって結構難しいよねっていう話

ニコラスが昨日のブログで「公用語が日本語である日本において、日本人は外国人に対してもっとフラットな気持ちで話すべきだ」と言っていた。日本で日本語が話せない外国人に対して英語で上手く説明できなくても、それを日本人が気にする必要はないということだ。(昨日のブログはコチラから。)

日本で生まれ育った時間が長い僕からしてみると、ニコラスの言っていることは「確かにそうだな〜」と思いつつ、同時にそれって結構難しいな〜とも感じる。それに似たような別の話をひとつしたい。

 

僕は17歳の時に1年間イタリアに留学していた。そこで、僕はイタリア語と英語の両方のスキルが求められた。家族や学校(全てイタリア語の現地校に通っていた)でコミュニケーションを取るためのイタリア語、そしてほとんどが英語圏出身である留学生仲間とコミュニケーションを取るための英語だ。その時の僕は、もちろんイタリア語なんか全然わからないし、英語も学校などでは勉強していたがそれ以上の経験は特になかった。

そこで面白かったのは、イタリア語と英語に対する自分のプレッシャーの感じ方の違いだ。

僕はイタリア語を話せないことに対して、全くプレッシャーを感じていなかった。家でも学校でも最初のうちは全く何言ってるかわからなかったが、僕としては「いや〜、何言ってるか全然わかんないね!(逆に)おれでも分かるように説明してよね!」くらいに思っていた。もちろん、エゴイスティックで嫌味な態度をとっていた訳ではなく、「日本人なんだから、そりゃ最初から話せる訳ないよ!これから頑張って覚えるから協力してよね。」みたいな風に考えていた。だから、今思い返しても喋れないことに対して辛いとか思った記憶が全くない。随分と図太かったなと今は思う。(でも、イタリアの家族や友人たちはそんな僕に愛想を尽かさずに、いちいち色んな方法で説明してくれた。僕は結果として理解出来ても出来なくても、そうして説明してくれるのをゆっくり聞くのが好きだった。)

そんなイタリア語に対して、英語を話す時に感じるプレッシャーは半端じゃなかった。留学生の友人たちが最も多くの時間をともに過ごした仲間だったが、彼らはほとんどがアメリカ人、その他カナダ人や半分英語で育ったアイスランド人などだったので、そこでの公用語は英語だった。しかも、彼らは母国語として英語を話すので会話の速度と使う単語が難しい。最初はそれこそ全く会話にはついていけなかった。イタリア語はどれだけ分からなくてもまるで焦らなかったのに、英語になった途端に分からないことに対して焦りを感じた。

「留学生だし英語は話せて当たり前」みたいな固定観念が自分の中にあったし、他の留学生たちも「いや英語はみんな普通ある程度話せるよね」みたいな意識があったように思う。だから、話せない自分が恥ずかしくなったし、そのせいで話すのが怖いとさえ感じた。これはたぶん「英語は共通語」という認識が無意識に植え付けられているからだと思う。(日本人含め、割と欧米諸国の多くの地域ではその認識は共有されてるんじゃないかと思う。)
だから、外国人に道を聞かれたら、そこが日本であって、その外国人が英語圏出身の人じゃなかったとしても、きっと「あ、英語で返さなきゃ」と多くの人が思うはずだ。それと同じように、そこがイタリアであっても、複数の外国人を相手に話す時に「共通語は英語」という意識がどうしても消せない。それこそ、全然フラットじゃない。ずいぶん面白い(変な)話だ。

 

この話には特に結論がある訳ではないんだが、そうした留学生活もやはり時間とともに(もちろん努力もしたが)何とかなっていった。イタリア語も英語も困らないレベルで話せるようになったし、本当に大切だと思う友人も出来た。
その1年間の経験を通して、言語に関してひとつ大きな収穫を挙げるとしたら、分からなくても焦らなくなったことだ。相手の言ってることを正確に全て聞き取れなくても、聞き取れた範囲から何を言ってるかを落ち着いて想像できるようになったのだ。実際は半分くらい聞き取れればだいたい何言ってるかは分かるから、それが出来れば全部聞き取れなくても全く困らない。それこそ、僕なんかは何言ってるかは大体わかるが、実際聞き取れてるのはせいぜい7,8割くらいなんじゃないかと思う。このマインドは、外国で生活していく上で気持ち的にかなり楽にしてくれた。加えて、「分からなかったら普通にもう一回説明してもらえばいいや」くらいに考えることが出来れば、もっと楽になる。

僕の場合はだんだんとそういう風に焦りは消えていったのだが、これに関する弊害に後々気付いた。それは大学に入ってからTOEICを受けていたときのことだ。リスニングをしていて、いつも通りそういう感じで聞いていた。普段から「全部ちゃんと聞かなきゃ」という意識自体がなくなっていたので、「分からなければ後で確認しよう」くらいの感じで聞き流していた。でも、後から気付いたけど(いや当然なんだけどね)テストだと分からなかったからって聞き返すことが出来ないので、そうやって聞き流してきたところはもう空欄のままどうすることも出来なくなってた。「ああ、ある程度緊張感持って聞くのも大事なんだなあ」とここで気付かされた。皆さんも気を付けてくださいね。リスニングテストに限っては、分からなくても聞き返せないですよ。

6件のコメント

  1. それぞれ共感。でも“英語”はやっぱ特別だよね。学生時代新宿でバイトしてたのもあって観光にきてる中国人やその他アジア人から道を聞かれることが多かったんだけど、もはや独自の母国語しか喋れないその人達に四苦八苦しながら「せめて簡単な英単語だけでも調べといてー」とか思っちゃったもん。笑

    1. 英語のこの感じは特殊ですよね〜。その気持ちもめっちゃ分かります!笑 同時にその逆の意味ではある程度共通語って認識が浸透してて、そこに助けられてる部分もありますよね!

  2. 僕はわりと日本に来てる外国人に対して普通に日本語で話すんですけれど、確かに心の奥では「英語で話さなきゃ」という思いがあります。英語を話せないといけないみたいな義務感って何なのですかね。
    日本語にもっと誇りを持って使っても良いと思うのですが…

    1. その気持ちも分かるけどね!でも、冷静に日本語で話しても理解できないだろうなって思うとやっぱり「共通語」に頼った方が楽だなっておれは思っちゃってるなあ。そこで日本語で行けるのはうとくんの強さだね!

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