男女の需要と供給

僕はいま鵠沼のシェアハウスに住んでいる。そう言うと、よく「テラスハウスみたいだね!」と言われる。実際、ここに住んでいる人の多くは(少なくとも最初の段階では)どこかしらその手の淡い期待があったに違いない。なぜなら、彼らはよくリビングでテラスハウスを見ている。

 

少し前に、僕が料理をしにキッチンへ行ったときの話だ。僕は割と普段は仕事人間的な生活を送っているので、あまり共用部分でくつろぐことはない。そのときは同世代の男の子がふたり、そして30代前半の女性がひとり、リビングにいた。彼らはシェアハウスの住人の中でかなりシェアハウスにコミットしているタイプの人たちで、仲も良い。男の子のひとりは人当たりの良いいわゆる好青年(僕も彼とは仲が良い)、もうひとりは面倒見が良くて教えたがりの末っ子男子タイプ、そして女性は実は寂しがりやタイプの綺麗な女性だ。

キッチンとリビングが棚で仕切られたワンフロアなので、僕は料理をしながら彼らの会話を片耳で聞いていた。どうやら、女性が体が硬いという話をしているようだ。それを聞いて男の子ふたりは、その女性にストレッチのことを細かく説明している。ひとりの子が自分がストレッチを半年続けて部活で1番柔らかくなったという話を出して、もうひとりの子が「いきなり伸ばしちゃダメなんですよ」とかストレッチうんちくを披露していた。女性は、その状況を(「その話を」ではなく!)楽しそうに聞いていた。そして、実際にストレッチの仕方を実技込みで教えたりしていた。彼らは楽しそうだった。

 

端から見ていて「ああ、需要と供給が成り立っているんだなあ。」と思った。
その状況にいた全員にとって、ストレッチ自体は何の意味もないものだったはずだからだ。女性は、きっとストレッチの内容には全然興味がなかったと思う。男の子たちも、きっと別にストレッチを教えてその女性が柔らかくなることを期待してもいないし、それを望んでもいなかったはずだ。
何が楽しかったのかと言えば、きっと教える立場の「男の子」に対して、教えられる立場の「女性」がいるっていうその「状況」だったはずだ。男の子たちは割とナチュラルにその教える立場の「男の子」の役割を果たしていた。それに対して、その女性はその場では自分が教えられる立場の「女性」であることをしっかり認識した上で、その状況を楽しんでいたように見えた。

僕は決して彼らをバカにしている訳ではない。むしろ、羨ましくも思う。(それは嘘か。)ただ単に、こういう風にして人間関係の(特に男女間の)需要と供給が成り立って、お互いが満足感を得ることが出来るものなのかと感心してしまった訳だ。そういうのも、あるんですね。

 

(挿絵:カメイサチコ)

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