品の良いご老人を見て歳の重ね方を考える

以前、仕事の打ち合わせで都内に行った帰りに新橋から東海道線のグリーンカーに乗った。仕事で行くときは交通費を出してもらえるのでグリーンカーに乗るが、そのときは帰りが18時ごろだったので混み始めていた。空いている席を探して、年配の着物を着たご婦人の横が空いていたのでそこに座った。おそらく70半ばくらいのご老人だったが、背筋もピンと伸びていて凄く品の良い方だった。僕が座る時に一瞬だけこちらに目を向けたが、その一瞬の視線で長髪で髭面の若造が横に座ることで不快感を与えてしまわないか僕は少し不安になった。

前日寝不足だったので僕はそのまま寝てしまったが、横浜駅で奥に座っているご婦人が降りるために声を掛けてきた。「お休みのところすみませんが、前を失礼いたします。」と優しい声で声を掛けてくれた。ハッと目を覚まして、すぐに足を横にずらしてご婦人が前を通れるように道を空けた。が、その瞬間にこんなご婦人に足を脇にずらして道を開けるだけでは失礼だと思い直し、すぐに席を立って道を譲った。「有難うございます。」と丁寧にお辞儀してご婦人は降りていった。

自分よりも50近くも年下の僕に向かって「お休みのところすみませんが」と声をかけてくれたことに対して、僕はまず感動していた。そのご婦人の身なりや話し方を受けて、僕は道の譲り方を考え直してきちんと席を立って道を空けた。なんとも品が良くて、素敵なおばあさんだなと思った。このご婦人然り、本当に品が良いなと思うご老人がたまにいる。そういう人を見ると、すごく嬉しい気持ちになると同時に、身が引き締まる。

僕は自分の母方の祖父からも同じような感じを受けたことがある。祖父は今年の頭に家の中で転倒して首の骨を折り、現在入院している。月に2回くらいの頻度でお見舞いに行くが、ほとんど自分で体を動かすことは出来ず、話すのもままならないような状態だ。この間お見舞いにいったときに、そんな状態の祖父がスタッフの方に対して「あなた方も、いつも有難う」と労いの言葉を掛けていた。自分がそういう状態だからこそなのかもしれないが、その状態でそういう風にきちんとお礼を言えるのかと深く感心してしまった。

 

歳を重ねると考え方は何か変わっていくのか。
もちろん変わっていくんだと思う。でも、僕が強く思うのは、ただ時が経つだけで考えが深化していくことはきっとない。何かを意識的に積み上げていかない限り、ただ受け身の状態で勝手に考えが深められたり、能力が身に付いていったりはしない。「経験すれば出来るようになるよ」というアドバイスは、あくまで自分で意識的に取り組めばという話だ。ひとつずつ積み重ねていかないと、きっと人間は良い方へは変わっていけない。そして、それはかなりの労力を必要とすることだ。

そう考えると、たまに自分の先の姿を想像するときに、そこまでの道のりの遠さを果てしなく感じてしまうことがある。実際、結構果てしないと思う。でも、それをひとつずつ重ねていかないときっと素敵なご老人にはなれないだろうなと思う。そう思うと、そう思わせてくれる年配の方に対する尊敬の念が自然と湧き出てくる。

 

以前友人に、「(弘太郎は)きっとこのまま歳とっていくんだろうね。でも、そっちの方が自然だね。」と言われた。そう言われたことに対してすごく嬉しく思ったと同時に、そこまでの道のりの遠さを感じてそのときも身が引き締まった。いま青森県弘前市にいる父方の祖父母の家を訪ねているが、祖父母と話していてこんなことを思い出して考えていた。良い歳の重ね方をしたいもんです。

 

(挿絵:カメイサチコ)

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