ひとりで頑張るのは普通。もうひとつ先へ。

大学時代のほぼ全てをダンスに費やしてきた僕は、いま思い返してみても結構頑張っていた。ひとりで頑張ること(あくまで意識の話)を僕はよく「ひとりで闘う」と言うが、その時の僕の意識は常に「ひとりで闘う」だった。サークルで代表をやっていたこともあり、あるべき姿を自分が1番体現しているべきだという意識を常に持っていた。「ひとりで闘う」という意識は、僕なりの決意の結果だったように思う。

 

基本的に大学時代に後悔はないが、やり切れなかったことはいくつか心に残っている。そのひとつに、自分のチームと自分のサークルを繋げられなかったことがある。僕はMooという3人組のチームでコンテストに出ていた。日体大Cypher Heads Famの代表りょーすけと、武蔵大学STEPSの代表りゅーたと僕で組んでいたチームだ。(そう、実は全員サークルの代表をやっていた。)このふたりに関して尊敬すべき点はいくらでも挙げられるが、中でも僕がふたりの素晴らしいところだと思っていたことは、サークルメンバーとの関係性だった。

それが如実に現れるのは、僕がふたりのサークルに練習をしに行ったときだ。僕はふたりのサークルメンバーをよく知っている。彼らの同期や先輩・後輩とふたりを通してつながっていたからだ。実際に僕が日体や武蔵に練習に行く度に「お〜こーたろー!」とか「あ、こーたろさん!」とか声を掛けてくれる人がいて、僕はそれが毎回凄く嬉しかった。思えば、りょーすけとりゅーたは事あるごとにチームメートをサークルメンバーに紹介してくれていた。そして、そこで知り合った人たちはりょーすけやりゅーたを応援しているから、そのチームメートである僕のことも自然に応援してくれた。そうして増えていった仲間の輪は、実際にコンテスト本番でも本当に力になったし、結果が出たときには僕らのことも心から祝福してくれた。

それに対して、僕はチームメートとサークルメンバーを繋げる機会をあまり意識的に作れ(ら)なかった。僕がふたりのサークルメンバーに会ったときに感じるホーム感みたいな感じを、ふたりには僕のサークルでは感じさせてあげられなかったんじゃないかと思っている。それは、たぶん僕が「ひとりで闘う」意識が強くて、サークル(public)とチーム(private)を完全に切り分けて考えていたからじゃないかと思う。もちろん、僕のサークルの仲間たちも僕のチームメートと全く繋がっていない訳ではない。けど、僕が積極的にふたりをサークルメンバーに引き合わせようとしたことがなかったので「存在は知っているけど話したことはない」状態だったんじゃないだろうか。ふたりにも、サークルメンバーにも、未だにこの点に関しては凄く心苦しく思っている。

 

「ひとりで闘う」という意識は、きっと何かを成し遂げるために必要不可欠な要素だと思う。でも、きっとそれだけじゃ足りない。必要以上に「個」での闘いに固執することは、必ずしも良いこととは限らないような気がする。最近は、自分の大きな目的意識の中に「One Love」的な博愛主義が入ってきている変化を少しずつ感じている。(ちなみに僕は数秘学的に人生の目的は「One Love」らしい。)
先日24歳の誕生日を迎えて、ある友人から「ああ、無条件に応援してくれているんだな」と感じさせてくれるメッセージをもらい、こういうことを考えていた。今年は、「ひとりで頑張る」のもうひとつ先まで行きたいと思う。

(挿絵:カメイサチコ)

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