村上春樹の『村上ラヂオ』が好きだ

僕がイタリアに住んでいたとき、日本人だと言うと返ってくるリアクションパターンが2つあった。ひとつは「HONDA, TOYOTA」など車について。もうひとつは、「Haruki Murakami」だった。

当時17歳だったが、村上春樹の小説を読んだことがなかった。(そもそも僕は小説を読むことにあまり興味がなかったので、村上春樹だけでなく他の作家の小説も全然読んでいなかったが。)日本人としてこれはマズイと思って、直ぐに親に「海辺のカフカ」を送ってもらって読んだ。全然分からなかった。その段階では日本人としての義務感的なものが働いて読んだが、そこから興味として掘り下げていくことはなかった。

そこから時は経って大学3年生くらいの頃、実家に帰ったときに姉に「何か面白い本はないか」と尋ねた。そこで出てきたのが『村上ラヂオ』だった。姉は本が好きで、昔から僕はよく姉の本を借りて読んでいたので、そのときも出されたままに読んでみた。

『村上ラヂオ』はエッセイ集だ。小説ではない。もともと雑誌『anan』に連載していた村上春樹のエッセイをまとめたもので、全ての話が見開き2ページで終わり、エッセイ50編全てに挿絵が入っている。題材は基本的に村上春樹の身の回りで起きたこと・考えたことだ。音楽(主にjazz)、食べ物(料理含め)、運動(走ること)の話がよく出てくる。1巻から3巻まである。

僕が『村上ラヂオ』を読んで1番強く思ったことは「村上春樹、分かってる!」てことだった。非常に偉そうな感想ですが、ここにはやはり自分との対比が多く含まれていて、この人は僕よりはるかに人生を知っていると素直に思った。それはおそらく、知識の量、物を見ている視点、そして話の繋げ方の上手さで、自分とは比べ物にならないほど人間として豊かだと感じたからだ。

きっと僕がブログを書いている中で、随所に無意識的に『村上ラヂオ』に引っ張られているところが多くある。具体的な内容という意味で前に引用した「入場券」の話もそうだし、例えば挿絵を入れようと思ったのもこの本のイメージがあったからだ。また、もう少し広い意味ではエピソード起点で考え事へ発展させていくという話の流れも、僕はこの本を読んでから意識的にやろうとするようになり、このブログでも意識している。

 

内容に関しては、僕がここで説明しようとしてもしょうがないので、僕が好きだった話のタイトルをいくつか挙げておく。(1〜3巻含む)

  • オブラディ・オブラダ
  • きんぴらミュージック
  • かなり問題がある
  • おせっかいな飛行機
  • 柳よ泣いておくれ
  • やあ暗闇、僕の旧友
  • もうやめちまおうか
  • プレゼントする人、される人

もし読んだ人がいたら、ぜひこのエッセイについて話をしてみたい。他の人はどう思ったんだろう。聞きたいです。(本のリンクはコチラから。)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA