プラハのバーガーキングでの話

僕は、17歳のときから日記を書き続けている。今年で24になるので、もう6年以上書き続けていることになる。
といっても、毎日マメに書いている訳ではない。何か考え事をしたとき、強く思うことがあったときにたまに書く。ずっと無印のごく普通なB5サイズのノート(6年以上ずっと変わらずあり続けてくれていることに感謝)に書き続けて、いまは6冊目になっている。

先週のニコラスのブログを読んで、ふと昔の日記を思い出した。僕が思い出したのは、高3の受験終了直後に様々なモノ(現実)から逃げたくて、1ヶ月ほどドイツに滞在していたときに書いたものだ。そのときはチェコのプラハにいた。以下、当時18歳の僕の日記をそのまま抜粋。

『Burger King in プラハでコーヒー中。
いま、ドイツのミュンヘンに滞在してて
3日ほどプラハを訪ねて
一人で街をブラブラして
ぼんやり将来のコトとか考えて。

何か ふと
世界のどこにいてもやるコトは
変わらないんだなって思った。

コーヒー飲んで
街ブラブラして
タバコ吸って
考えゴトして
好きな音楽聴いて
好きな女の人について考えて
人と話して。

にしても ここの音楽はひどいな。』

(2012/3/4)

このとき、プラハのバーキンでは何の音楽が流れていたんだろう。凄く気になる。でも、大事なのはそこじゃない。このとき、18歳の僕は旅することにあまりワクワクしなくなってきていることが分かる。ポイントはそこだ。

もちろん、それは一意的に「旅が刺激的でなくなった」という話ではない。
まず初めに、僕がいままで行ったことのある国は全て先進国なので、その経験だけから「旅」をジャッジしてしまうことはあまりにも粗雑だと思っている。具体的には欧米諸国と豪州で、生活水準はどこも似たり寄ったりだ。だからこそ、こうやって適当にある店でコーヒーを飲んで考え事をする余裕があるんだろう。もっと知らない世界に行けば、きっとそこで新しい刺激があると確信している。
次に、チェコでも旅っぽい刺激や出会いはあった。ドイツでは、当時ミュンヘンに住んでいた姉の元にずっと泊まっていたが、チェコは一人旅だった。このとき人生で初めて、その国に知り合いが一人もいない、つまり「自分のことを知っている人間がこの国には誰もいない」という状況を経験した。これはなかなか開放的、かつスリリングだった。また、プラハへの長距離バスの中で知り合ったインド人のmicrosoftのエンジニアが苺をくれたり(僕は苺が好きじゃない)、夜遅くホテルに辿り着けずに彷徨ってると生粋のチェコ人で英語が1ミリも喋れないおじいちゃんタクシードライバーがタダでホテルまで送ってくれたり、いまでも鮮明に思い出す「楽しい」記憶もある。

それでも、プラハを発つときには上記の日記を書いている。
当時の僕には、そういういわゆる「旅っぽい」情景があまり響かなくなっていた。

いま僕は鵠沼に住んでいる。基本的に家と職場(茅ヶ崎)の行き来をする生活だ。そんな生活がもう10ヶ月も経つ。でも、いま僕は旅行に行きたいと思わない。いや、ここ10ヶ月の間に1度も思ったことがない。
きっとそれは、違う刺激の得方を楽しんでいるからだと思う。旅に出て、知らない人と話して、新しい出来事を体験して、自分が感じたことのない感覚を得る。それは間違いなく素晴らしいことだ。かつ、それは大きな大きな刺激となる。でも、そうじゃない刺激の得方もあるんだと気付いた。それは、ひたすら掘っていく作業だ。

自分に何か「これだ」という闘うフィールドがあるとする。そこのフィールドにおいて、あなたはまだ停滞感を感じていない。言い換えれば、自分の至らなさは日々痛感しているが、やらなきゃいけないことは見えている。足りないのは自分の能力(才能という意味ではない)であり、時間である。そういう状況においては、1番刺激を得られるのは旅に出て新しい物事と出会うことではなく、持てる時間を最大限に自分の能力を深めることに費やして、その中で徐々に見えてくる新しい景色を見つけていくことではないだろうか。
(ちなみに、僕はせっかちなので鈍行列車のように徐々に景色が変わっていくのでは我慢できず、もっとラディカルな変化を求めてきた。でも、最近はゆっくりと移り変わっていく様も楽しむ心構えが少しずつ出来てきた気がする。結局のところ人生は急行に乗れば良いところに行けるって訳でもなさそうだからだ。この辺りについてはまた別の機会に。)

人生の目的は何だと聞かれたら、僕はいま明確に応えることはできない。でも、抽象的ではあるが長く思い続けていることのひとつに「飽きずに生きたい」というのがある。人生において、拡げていくことは間違いなく大事だ。でも、きっと大体の人間はずっと同じ状態は保てず、成長していくためにはいくつかの状態をループし続けるもので、拡げていった分だけ掘り下げていく工程が必要になってくる。そう考えると、僕はいまは掘り下げていくフェーズにいて、それは飽きずにやってくために不可欠なフェーズなんだと思う。

その場にステイすることは、時として旅に出ること以上に大きな冒険だったりする。僕は、もう少し今の場所にステイするつもりでいる。

昔の自分の日記からいろいろ考えてみたが、ひとつモヤモヤが晴れないことがある。
あの日記を書いたときに、僕が言っている「好きな女の人」って誰だったんだろう。思い出せない。

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